1991年の貸金業法改正
平成の貸金業法改正は、幾度となく行われました。
ただ、2006年の改正に至るまでは、具体的な改正案は少なく、形だけのものも少なくありませんでした。
それでも、少しずつ変わっていった事が、最終的にはグレーゾーン金利撤廃の流れを作ったと言えます。
そういう意味では、1991年における貸金業法の一部改正は、大きな第一歩だったと、今にして思えば言えるかもしれませんね。
まず、この1991年は、土地問題が社会問題として発展しているという時代背景がありました。
土地問題というのは、基本的には地価高騰が大きな論点となることが多く、この時期もバブル景気がピークを迎え、地価が際限なく高騰していた時期でした。
その為、貸金業者、そしてローンの金利というものが大きな焦点となっていました。
一方、ノンバンクというものもこの時期に焦点が当たっていました。
いわゆる、預金や為替業務を行わない金融業者で、銀行以外の貸付を行う業者を指しますが、このノンバンクに関しても、これまでは野放しだったのに対し、金融機関同様の指導、監督を必要としているということで、こういった問題を解決すべく、平成の改正はスタートしました。
この改正によって、貸金業法に『国民経済の適切な運営に資する』という一文が追加されました。
これによって、貸金業者に対して、国民経済という観点から指導、監督が行えるようになったのです。
ただ、これが大きな規制となったかというと、実際にはそれ程効果がなかったようです。
そして、平成の改正へ
問題を抱えつつ、昭和58年に運営が開始された貸金業法ですが、やはりその問題は徐々に大きなものへと発展していくことになります。
特に、グレーゾーン金利に関しての問題は全く改善が見られないままで、貸金業者の多くは、このグレーゾーン金利に関しておとがめなしという判断を下し、利息制限法ではなく出資法の上限金利を用いて貸金業を営んでいました。
さらに、平成に入るといわゆる『ヤミ金融』と呼ばれる悪徳業者が増加の一途を辿り、クレジットカードでの買い物が一般化したことで、カードによる借金、そして法外な金利に対して支払いができずに自己破産、という流れのいわゆる『カード破産』が頻繁に発生し、大きな社会問題となったのです。
こういった経緯もあり、貸金業法は改正が行われる事になります。
最初に改正がなされたのは平成15年です。
通称『ヤミ金融対策法』として制定されましたが、はっきり言って、この改正は不完全でした。
その為、3年後となる平成18年に、今度は大々的な改正が行われる事となったのです。
これには、グレーゾーン撤廃に関する世論の声が反映され、結果としてこの改正によって貸金業の適正化、グレーゾーン金利の廃止が正式に行われました。
まだ問題はあるものの、この改正によってかなり大きな改善がなされ、貸金業法はようやく正しい運用がなされるようになりました。
それに伴い、各金融業者もこの法律に合わせて金利の引き下げを行うようになり、そこで各金融会社の金利引下げ競争が勃発するなど、様々な変化が見受けられたのです。
ようやく貸金業法成立。しかし…
サラ金問題で社会問題となり、グレーゾーン金利で過去との整合性が一向に定まらず、結果的にかなりこじれてしまった貸金業問題ですが、昭和57年にようやく一つの区切りを迎えます。
昭和57年、第96回国会で定められたのは、グレーゾーン金利の部分について、債務者が任意で支払った場合に関しては、返還を請求できないというものでした。
これには穴があり、いずれそこが大きな問題となるのですが、この時点ではまだその穴に対しての言及はなく、この案が通り、貸金業規制法、すなわち「貸金業法」が成立するに至りました。
貸金業法が施行されたのは、昭和58年。
グレーゾーン金利に関して一応の見通しが立ってからわずか1年となりました。
それだけ、この問題には早急な解決が必要だったという事を如実に表していた出来事でした。
それでも、サラ金問題が浮上した昭和52年から、実に6年間もの間、具体的な解決法を見出せず、多くの日本国民は貸金業に対して大きな猜疑心を抱くことになりました。
これに関しては、健全な経営を行っていた貸金業者にとってはかなりの痛手となり、結果的にこの後貸金業は大きな変化を求められることとなりました。
また、貸金業法も成立したとはいえ、まだ問題点も多くありました。
一応この時点で、出資法の定める上限金利は109.5%から40.004%へと、段階的にですが引き下げられました。
ただ、これでグレーゾーン金利がなくなったわけではありません。
利息制限法で設定されている上限金利は、元本の金額によって15~20%に変動しますが、最大でも20%です。
ですから、20~40%の間はグレーゾーンとなり、利息制限法の上限金利が実質的に意味を成さない状況となってしまったのです。
迷走を続けた貸金業規制
サラ金問題における解決がなかなか見られない中、貸金業法の制定に関してはなかなか画期的・建設的なものが作られず、結果的に貸金業法の制定に関する話し合いは迷走する形になってしまいました。
この迷走は深刻で、一度金利の調整ができずにまとまらなかったというだけでなく、その後も幾度となく案が出されるもうまくいかず、調整不可能という状態に陥っていました。
これには原因があり、出資法における上限の金利を引き下げるボーダーをどこに設定するか、利息制限法の規定している上限の金利を超過しているが出資法の定めている上限金利は超えていない間の金利に関してはどう取り扱うかというところで、どうしても折り合いが付かなかったのです。
特に後者関しては、その後2000年代中盤まで引きずる問題となりました。
いわゆる『グレーゾーン金利』と呼ばれる金利です。
利息制限法と出資法の足並みを揃えなかったツケがここに来て大きな問題となったのですが、それに対してもなかなか足並みを揃えることができず、民意をほったらかしにして迷走は続き、審議がまとまらないまま時間だけが過ぎていきました。
このグレーゾーン金利問題が解決しなかった要因としては、かつて最高裁で下された判決との整合性が一番に挙げられます。
かつて、こういった最高裁においては、利息禁止法で規定されている金利を超えて支払った金額に関しては、元本に充当されて、この元本が完済された場合には不当利得として返還請求するという判決を下していました。
もし利息禁止法の金利を変えるとなると、そういった点で過去との食い違いが生まれるので、そこで色々とこんがらがったようです。
サラ金問題と貸金業規制
昭和50年代に入ると、日本は高度成長期の真っ只中に突入すると同時に、貸金業界の肥大、増長が顕著になってきました。
それによって、多くの一般人が泣きを見ることになり、それが社会問題となって、連日ニュースなどでも取り上げられるようになりました。
この問題は、『サラ金問題』という名称で多くの媒体によって取り扱われ、かなり大きな問題となりました。
この問題には国会も動きを見せ、貸金業問題関係省庁連絡会の設置により貸金業者に対しての刑事上の取締りを行う他、行政上の指導、協議を行うようになりました。
これが、貸金業法の制定の発端といえます。
ただ、これもまだ足並みが揃わず、結果としては失敗に終わります。
明確に金利を抑える民法化が実現しなかったからです。
金利の取り扱いに対して、調整が困難であるという判断がなされたからです。
金利の調整は、各機関が納得する形で行う必要があります。
ただ、やはり中にはそれに異を唱える所も少なからずありました。
たとえ行政や警察が音頭をとっても、当時はそれが実現できないくらい貸金業者の力が強かったという見方もできます。
そういった背景もあり、結局この時の問題に対しての解決法も見かけだけのもので、根本的な解決には至らなかったというのが実情でした。
その一方で、『サラ金問題』はさらに大きな社会問題として取り扱われるようになり、その結果、政治不信を強める要因となり、単純な一問題としてだけでなく、日本全体の問題へと発展していったのです。
貸金業法が制定されるまでには、こういった大問題が勃発していたのです。
高度成長期の貸金業規制
貸金業の規制が現在の貸金業法に近付いてきたのは、日本が高度成長期に突入してからだと言われています。
高度成長期に突入すると、日本はガラッと様相を変えました。
それまでは、とにかく復興を目的とした、寝る間も惜しんで働け働けという思想が定着していましたが、徐々により合理的、建設的な社会を目指そうという動きが活発化してきたのです。
精神論ばかりだった日本に、ようやく合理性というものが生まれてきた時代ですね。
そこに、貸金業法の大きな基礎となる規制が生まれてきたのは、必然といえるでしょう。
高度成長期は、多くの人が自分で会社を興したり、商売を始めたりという動きを行ったこともあり、貸金業も一層の繁盛を見せていたようです。
当然、そうなって来ると穴あきだらけの規制では消費者の不満が爆発します。
そして、1972年に『貸金業者の自主規制の助長に関する法律』が制定されました。
ただ、これはあくまでも貸金業者自身が自主規制という形で守る法律という形で、いわゆる社訓のようなものでしたから、規制効果はほとんどないものでした。
実際に現在の貸金業法の基礎ができ上がったのは、高度成長期真っ只中、1970年代後半です。
昭和50年代に突入すると、上記のような上辺だけの法律を盾に、多くの金貸業者が高利貸付、過剰な貸付、そして陰惨極まりない取立てを行い、傍若無人ここに極まれりといった状況になってしまいました。
そこで、この問題点を解決すべく、新たに法整備が行われることとなったのです。
出資法という法律
貸金業法が制定されるまで、日本の貸金業に対する規制というものは紆余曲折を経ています。
貸金業法に辿り着くまで、幾度かの見直し、あるいはフルチェンジを余儀なくされる事もありました。
そんな中、1954年に制定されたのが、「出資法」と呼ばれる法律です。
この出資法にも、問題点はありました。
前身の貸金業取締法が不手際によって金利について触れることがなかった事もあり、当然出資法では金利の上限規制について規定していました。
ただ、この規制はいわゆる実質的なお飾りとなってしまいました。
というのも、貸金業における実態調査の目的を有しているに過ぎず、貸金業が開業の際に届出をしなくてはならない、報告徴収をしなくてはならない、立入検査を実施するという内容であったにも関わらず、それが実際に適用されていたかというと、ほとんど適用されていませんでした。
つまり、見せかけだけで、実際には意味のない法律だったということです。
こういった、定義だけしっかりしていても実際に書かれている内容を実施している訳ではないという法律は、今でも多数存在しています。
その為、政治に対する不信感が常に一般人の間には流れているのでしょう。
特に貸金業は、戦後の日本におけるお金のない庶民にとって、最後の助け舟となる存在でした。
その貸金業にやりたい放題されてしまうというのがどういった事か、想像に難くないかと思います。
ある意味、戦後すぐの焼け野原以上に、多くの人が人生を焼け野原にしてしまったかもしれません。
機能していなかった貸金業取締法
現代における貸金業への規制は、貸金業法という法律によって行われています。
ただ、この貸金業法が制定されるに至るまでは、多くの失敗、試みが行われてきました。
1949年に制定された貸金業取締法も、その一つです。
貸金業取締法では、貸金業者の事前届出を義務付けたり、監督官庁(現大蔵大臣)によって検査、監督が行われるという規定を設けていました。
それまでの法律と比べるとかなり締め付けが厳しくなり、この法律の制定によって、高利貸しを一掃する事ができるかと思われていました。
その一方、貸金業者に対して適用される『上限金利』に関しては、基本的にはこの法律では触れていません。
1947年に既に制定されていた『臨時金利調整法』という法律内で定められていた最高金利をそのまま準用する手はずでした。
しかし、この臨時金利調整法では実際に金利の提示がなされず、もちろん、貸金業取締法でも最高金利の制限が明記されなかった為、結果的にはほとんど機能しない法律となってしまったのです。
当然ですよね。
金利が一番の問題となっていたはずなのに、その金利について何ら制限がなされていないのですから。
元の木阿弥もいいところです。
今では考えられないような事態ですが、実際に昔はこのような問題が発生していたのです。
この問題によって、高利貸しはさらに増加することになってしまいます。
結局、貸金業取締法は1954年にあえなく廃止され、その代わりに出資法が制定されることになりました。
貸金業法制定前の規制
1983年、貸金業法という法律が制定されました。
これは、それまでかなりやりたい放題となっていた貸金業に対し、一定のモラルを設ける為です。
では、この貸金業法制定前に規制が全くなかったかというと、そういうわけでもありませんでした。
貸金業という職業はかなり昔から存在しており、日本では1877年に『太政官布告による旧利息制限法』という規制が設けられ、そこから貸金業に対しての金利の上限を定めていました。
つまり、100年以上前には既に貸金業に対しての規制が行われていたということですね。
その後、昭和の時代に突入し、今度は警視庁令で『金融業取締規則』という規則が設けられ、これによって貸金業の規制がさらに強固なものとなりました。
当時、貸金業は許可制で、主に広告の規制や契約書面における交付規制といった締め付けが行われていたようですね。
こういった法律は、戦後の新憲法成立の際に廃止されました。
貸金業の歴史が動いたのは、戦後すぐと言われています。
戦後の日本はいうまでもなく非常に貧しい状態で、多くの庶民は食べる事にも困り、生活ができない状態でした。
そういった人たちの足元を見て、高利貸しが続出したのです。
多くの庶民が、高利貸しの犠牲になってしまう結果となりました。
そこで、1949年に『貸金業等の取締りに関する法律』が制定され、高利貸しに対しての規制を厳しくしようと試みます。
いわゆる『貸金業取締法』ですね。
ただ、この貸金業取締法に関しては、かなりの点で問題が発生してしまい、あまり機能しなかったといわれています。
貸金業法とは
お金を借りるという事を実際に体験した事がある人は、かなり多いかと思います。
ある程度の年数生きていれば、少なからず何らかの局面でそういった事を余儀なくされる事もあるでしょう。
例えば、買い物に出かけたけど財布の中にほとんどお金が入っていなくて、後ですぐ返すからと友人や兄弟にお金を借りる、というくらいなら誰でも経験している事かと思います。
では、お金を親しい人ではなく金融関連の会社から借りるという行為に関してはどうかというと、その数は一気に少なくなるでしょう。
しかし、それでも以前と比較すると、だいぶ多くの人がお金を金融会社から借り入れるようになりました。
いわゆるキャッシングですね。
このキャッシングという行為を、あまり抵抗なく行う人が増えてきているようです。
その理由は多数あり、例えばクレジットカードで簡単にお買い物感覚でキャッシングできるようになるなど、手軽な手法が浸透してきている点や、若年層のトラブルに対しての意識が希薄になっている点などが挙げられるかと思います。
そして、最も大きな点は、貸金業法の改正が挙げられるでしょう。
貸金業法というのは、1983年に公布、施行された貸金業に関する法律です。
主に、お金を貸した際に発生する利息や支払いについての規制を目的とした法律で、いわゆるキャッシングのガイドライン的な法律でした。
ただ、この1983年施行の貸金業法には欠陥も多く、それで多くの人が苦しむ事となったのです。