2006年の貸金業法改正その3
2006年に行われた貸金業法の大々的な改正では、源泉徴収票等の提出も義務付けられました。
1社で50万円、複数の会社で100万円以上の貸付を行う場合、必ず源泉徴収票等を提出しなくてはならなくなったのです。
また、年間収入の1/3を越える貸付を禁止する事項も設けました。
さらに、長期の事業休止や事業開始の遅れに対しても厳しい指導を行うようになり、6ヶ月以上の事業休止や開始遅れを正統な理由がなく行った場合は、登録抹消という処置をとるようになりました。
これは、金をせしめて逃げるヤミ金融の特定をしやすくする為の処置です。
貸金業法改正によって、登録から日が浅い貸金業者は、基本的に怪しいという見方をされるようになりました。
この他、ヤミ金融対策としては、ヤミ金融への罰則最高刑の引き上げが行われました。
懲役を最高5年だったところから、10年に引き上げたのです。
これによって大きな変化が生まれたかどうかはわかりませんが、罰則の引き上げは、現状で最も有効な犯罪抑止力と言われています。
こういった、様々な改正が行われたことにより、貸金業者はその営業形態を大きく変えることになったようです。
グレーゾーン金利撤廃の余波は特に大きく、これまでは全体的に協定を結んでいた感が強かった金利に関して、競争意識が強くなり、より金利を引き下げ、貸金業を広く多くの人に利用してもらおうという動きが活発化してきました。
負い目なく借りられるよう、インターネット上で手続きができたり、コンビニでキャッシングしていると周りにわからない状態で借り入れができるようにするなど、工夫を第一に押し出すようになったのです。
2006年の貸金業法改正その2
グレーゾーン金利撤廃の決定が大きな目玉となった2006年の貸金業法改正ですが、それ以外の部分もかなり改正がなされました。
その中には貸金業者にとって頭の痛い内容も多く含まれていたことから、結構もめていたようです。
2006年に行われた貸金業法改正では、金利に関する改正の他、貸金業の適正化、過剰貸付けの抑制、ヤミ金融対策の強化等といった、これまでにも行われてきた改正をさらに踏み込んだ形で施行する事になりました。
その中でも、貸金業の適正化に関しては、特に多くの事項が改正されることになりました。
まず、貸金業参入に必要な純資産額を、個人300万、法人500万から、2,000万円に引き上げました。
今後はさらに、5,000万円に引き上げる予定と言われています。
つまり、相当な額の資産が無いと、貸金業を営むことはできなくなったということです。
少ない元手であくどいやり方で私服を肥やすことはできなくなりました。
この他も、貸金業協会における自主規制機能の強化や、過剰貸付けの抑制などの事項も盛り込まれていました。
さらに、夜間だけでなく日中における執拗な取立て行為、特定公正証書作成の委任状取得、利息制限法を越えた契約の特定公正証書作成嘱託といった行為を全面的に禁止としました。
そして、これもかなり波紋を呼びましたが、借り手が自殺する事によって生命保険金で弁済するという行為も禁止しました。
2時間ドラマの動機などでよく使用されるこういった行為は、実際に行われる事もあり、それを防ぐ為の改正となったようです。
2006年の貸金業法改正その1
貸金業法の改正は、平成に入ってから段階を踏んで何度も行われてきました。
そして、その最終段階となったのが、2006年に行われた大々的な改正です。
この2006年の貸金業法改正によって、貸金業法というものがようやく正式に機能したと言えるかもしれません。
元々、2003年の段階で『3年を目処として見直しを行う』という事が宣言されていたので、この2006年の改正は予定通りではありました。
ただ、その内容はこれまでにないほどヤミ金融への対策や貸金業法の穴に対して踏み込んだもので、ここに来てようやく本当の意味での改正がなされたと言えるでしょう。
その改正の内容は、かなり多く一度に全て変えていくのは難しいことから、段階を踏んでの施行となりました。
あらゆるトラブルを防ぐ為には仕方がない処置ではあります。
こういった経緯で改正された内容としては、まず何といっても金利の適正化が第一の目玉となりました。
上限金利を引き下げ、グレーゾーンの撤廃を行うというものです。
2006年、最高裁判決を契機に、貸金業規制法施行規則の改正を行い、このグレーゾーンをなくすという事が正式に発表されました。
ただ、実際に実施されるのは2009年末という事で、反映されるには結構な時間がかかってしまうことになりました。
とはいえ、金融業者としても、この時期までギリギリグレーゾーンを生かし続けるのは会社のイメージを損なう事になるだけという事で、改正が宣言された事を受け、早めに上限金利を引き下げようという動きも活発化し、金利を少しでも低くするという競争が見られるようになったのです。
2004年の貸金業法改正
2001~2002年の貸金業法改正によって、出資法の定める上限金利は29%にまで引き下げられました。
また、2000年代に突入し、日本の景気もかなり変動し、これによって貸金業は大きな改革を迫られることになったのです。
主に、イメージの変化を重点とした改革が行われ、各大手企業はCM戦略などを行い、貸金業に対するイメージを少しでも良くするという方法を取っていました。
その一方で、ヤミ金というものが廃れることは無く、取締りを厳しくしたものの、今度はインターネット上での貸し出しに関しての様々なトラブルが発生するなど、時代が進んだことで新たな問題が発生し、物議を醸していました。
そういった事もあり、2004年、またも貸金業法の改正が行われることになりました。
この2004年の改正では、主にヤミ金融に対しての徹底した取締りがテーマとなりました。
まず、貸金業の登録要件を厳格化し、普通の金融業者を装ったヤミ金融が登録できないようにすると共に、無登録業者への取り締まり、取立行為への規制をかなり強化しました。
同時に罰則の強化も行い、年間109.5%を超える過剰金利で貸付を行った契約に関しては、無効とするという法律が制定しました。
こういったヤミ金融対策の改正がなされた事で、徐々にヤミ金融による被害は少なくなってきたと言われています。
ただ、それは見かけだけの数字で、実際には泣き寝入りしている人の数はまだかなりいるという状況も、少なからず残っていました。
そういった部分のさらなる強化として、2006年にまたもや改正がなされる事となったのです。
2000~2001年の貸金業法改正
2000年、商工ローン問題に端を発し、ようやく貸金業法に対しての改正が活発化してきました。
2000年に改正されたのは、その商工ローン問題の対策だけでなく、出資法の上限金利の引き下げも同時に行われたのです。
それまでは40.004%だった出資上の上限金利が29.2%に引き下げられ、同時に利息制限法の賠償額制限金利も、2倍から1.46倍に引き下げられました。
この流れは、2001年になっても続きます。
2001年には、出資法で定められている日賦貸金業者に関しての特例金利を、109.5%から54.75%にまで引き下げました。
同時に、相手方に自ら集金するという方法で取り立てなくてはならない日数を、返済期間の70/100以上から、50/100以上とするように改正されました。
これは、過酷な取立てに対しての締め付けをさらに強化した改正と言えます。
そして、貸金業法上における貸付条件などの提示、条件の広告、契約する相手への書面交付、さらには自分達が日賦貸金業者であるという事の提示を義務付けるなどの改正が行われ、貸金業者に対して健全な業務を行わせるべく、かなりの義務付けを実施しました。
これらの改正は、貸金業法における穴をだいぶふさぐに至りました。
ただ、グレーゾーン金利は相変わらず20~29.2%の間で存在し続けているなど問題点も残っており、それが今後の改正に対しての課題となったのです。
とはいえ、この2000~2001年の貸金業法改正は、大きな前進を見せる事になりました。
2000年の貸金業法改正
1992年以降、日本の経済はバブル崩壊のツケを支払うことにばかり費やされてしまいました。
その為、貸金業法に関する問題は度々指摘されながらも重要視されることはなく、時間ばかりが過ぎていく状態でした。
そんな中、8年が経過した2000年、ようやく新たな貸金業法改正が行われます。
きっかけは、いわゆる『商工ローン問題』でした。
バブル崩壊以降、中小企業はかなり苦戦を強いられ、金策に励むところが多かったのですが、その中小企業向けのローンとして貸金業者が設けたのが『商工ローン』でした。
商工ローンは法人向けのローンなので、当然小口の個人ローンよりかなり額が多く、貸金業者にとってはオイシイ商売となったようです。
一方、その融資を受ける中小企業の立場を考えると、既に苦しい経済状況の中で借金をするのですから、返済はかなり難しい状態と言えます。
通常、そういう場合は貸付をする業者が破産する恐れがかなり強いため、貸す側としてもリスキーな点が強かったのですが、この商工ローンでは『連帯保証人を立てる』という条件が必須だったので、貸金業者は初めから連帯保証人を当て込んで貸付を行っていました。
そして、その保証人に対しての情報伝達が意図的に制限されていた節があり、そこが大きな問題としてクローズアップされてきたのです。
商工ローンは、銀行がバブル崩壊以降貸付を渋るようになったこともあり、かなり業績を伸ばしました。
その一方、高金利、取立ての仕方などがかなり問題となり、社会問題へと発展していきました。
2000年の貸金業改正は、こういった点が背景となってようやく実現したものです。
問題となっていた保証人に対しての書面交付義務が制定され、取立て行為に対しても規制、罰則が強化されることになりました。
1992年の貸金業法改正
1991年に貸金業法の改正が行われて以降、貸金業が大きく変わったかというと、それ程の変化はありませんでした。
しかし、時代は大きく動きます。
バブル崩壊です。
このバブル崩壊によって、日本の経済は大きく変動するようになりました。
1992年頃に本格化したバブル崩壊の影響は、当然貸金業にも多大に現れ、貸金業法も新たな改正が試みられるようになりました。
また、同時期にノンバンクによる金融不祥事問題が多発し、ノンバンクの経営破たんも増えた事で、こういった観点からも改正が行われたのです。
1992年の改正においては、貸金業者に対して、健全な運営を促すための法案が成立する程度でした。
事業報告書の提出を求めるという権限を発動させたといったくらいで、あまり大きな進展はなかったと言えます。
とはいえ、土地だけでなく株式などについても、 貸付け実態の把握、そして適正化が行われるようにという動きを見せた事で、その後に繋がる改正ではあったと言えます。
ただ、この時期はバブル崩壊によって日本経済が大きな混乱を見せていた為、さらなる貸金業法改正に踏み込むには至らず、この後かなりの空白の時期が生まれてしまいました。
次に改正が行われたのは8年後の2000年で、それまでは具体的な改正はなく、カード問題を始め、様々な貸金業における問題は放置されたまま、時間だけが過ぎていくことになります。
タイミングもよくなかったのですが、この空白の8年間は今思うとかなり勿体無かったといえますね。
1991年の貸金業法改正
平成の貸金業法改正は、幾度となく行われました。
ただ、2006年の改正に至るまでは、具体的な改正案は少なく、形だけのものも少なくありませんでした。
それでも、少しずつ変わっていった事が、最終的にはグレーゾーン金利撤廃の流れを作ったと言えます。
そういう意味では、1991年における貸金業法の一部改正は、大きな第一歩だったと、今にして思えば言えるかもしれませんね。
まず、この1991年は、土地問題が社会問題として発展しているという時代背景がありました。
土地問題というのは、基本的には地価高騰が大きな論点となることが多く、この時期もバブル景気がピークを迎え、地価が際限なく高騰していた時期でした。
その為、貸金業者、そしてローンの金利というものが大きな焦点となっていました。
一方、ノンバンクというものもこの時期に焦点が当たっていました。
いわゆる、預金や為替業務を行わない金融業者で、銀行以外の貸付を行う業者を指しますが、このノンバンクに関しても、これまでは野放しだったのに対し、金融機関同様の指導、監督を必要としているということで、こういった問題を解決すべく、平成の改正はスタートしました。
この改正によって、貸金業法に『国民経済の適切な運営に資する』という一文が追加されました。
これによって、貸金業者に対して、国民経済という観点から指導、監督が行えるようになったのです。
ただ、これが大きな規制となったかというと、実際にはそれ程効果がなかったようです。
そして、平成の改正へ
問題を抱えつつ、昭和58年に運営が開始された貸金業法ですが、やはりその問題は徐々に大きなものへと発展していくことになります。
特に、グレーゾーン金利に関しての問題は全く改善が見られないままで、貸金業者の多くは、このグレーゾーン金利に関しておとがめなしという判断を下し、利息制限法ではなく出資法の上限金利を用いて貸金業を営んでいました。
さらに、平成に入るといわゆる『ヤミ金融』と呼ばれる悪徳業者が増加の一途を辿り、クレジットカードでの買い物が一般化したことで、カードによる借金、そして法外な金利に対して支払いができずに自己破産、という流れのいわゆる『カード破産』が頻繁に発生し、大きな社会問題となったのです。
こういった経緯もあり、貸金業法は改正が行われる事になります。
最初に改正がなされたのは平成15年です。
通称『ヤミ金融対策法』として制定されましたが、はっきり言って、この改正は不完全でした。
その為、3年後となる平成18年に、今度は大々的な改正が行われる事となったのです。
これには、グレーゾーン撤廃に関する世論の声が反映され、結果としてこの改正によって貸金業の適正化、グレーゾーン金利の廃止が正式に行われました。
まだ問題はあるものの、この改正によってかなり大きな改善がなされ、貸金業法はようやく正しい運用がなされるようになりました。
それに伴い、各金融業者もこの法律に合わせて金利の引き下げを行うようになり、そこで各金融会社の金利引下げ競争が勃発するなど、様々な変化が見受けられたのです。
ようやく貸金業法成立。しかし…
サラ金問題で社会問題となり、グレーゾーン金利で過去との整合性が一向に定まらず、結果的にかなりこじれてしまった貸金業問題ですが、昭和57年にようやく一つの区切りを迎えます。
昭和57年、第96回国会で定められたのは、グレーゾーン金利の部分について、債務者が任意で支払った場合に関しては、返還を請求できないというものでした。
これには穴があり、いずれそこが大きな問題となるのですが、この時点ではまだその穴に対しての言及はなく、この案が通り、貸金業規制法、すなわち「貸金業法」が成立するに至りました。
貸金業法が施行されたのは、昭和58年。
グレーゾーン金利に関して一応の見通しが立ってからわずか1年となりました。
それだけ、この問題には早急な解決が必要だったという事を如実に表していた出来事でした。
それでも、サラ金問題が浮上した昭和52年から、実に6年間もの間、具体的な解決法を見出せず、多くの日本国民は貸金業に対して大きな猜疑心を抱くことになりました。
これに関しては、健全な経営を行っていた貸金業者にとってはかなりの痛手となり、結果的にこの後貸金業は大きな変化を求められることとなりました。
また、貸金業法も成立したとはいえ、まだ問題点も多くありました。
一応この時点で、出資法の定める上限金利は109.5%から40.004%へと、段階的にですが引き下げられました。
ただ、これでグレーゾーン金利がなくなったわけではありません。
利息制限法で設定されている上限金利は、元本の金額によって15~20%に変動しますが、最大でも20%です。
ですから、20~40%の間はグレーゾーンとなり、利息制限法の上限金利が実質的に意味を成さない状況となってしまったのです。